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東京高等裁判所 昭和60年(う)1349号 判決 1985年12月10日

主文

原判決を破棄する

被告人を禁錮一年二月に処する。

原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人秦康雄提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

被告人の控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

所論は、保護者として内妻雪子を風呂場に放置して遺棄する故意はなかつたものであつて、これを認めた原判決には事実の誤認があると主張する。

そこで起訴にかかる保護者遺棄致死の公訴事実(検察官は当審において重過失致死の予備的訴因を追加しているので、本位的訴因となる)について検討する。

本件起訴にかかる公訴事実は次のとおりである。

「被告人は、昭和六〇年一月二一日午後四時四五分ころ、横浜市○○区××三丁目二一番地の一四所在の自宅において、かねてからアルコール依存症でしばしば泥酔状態に陥ることが多かつた内縁の妻甲野雪子(当時三四年)が、泥酔して意識もうろうの状態に陥り横臥しているのを認めて憤慨し、同女に対し、「風呂に入つて酔いを醒ませ」と怒鳴りつけ、竹製の長さ約四五センチメートルの「孫の手」で同女の頭部、臀部等を乱打し、同女を追い立てて右自宅風呂場まで這わせ、同女をして摂氏約九度の水を張つた浴槽内に衣服を着用したまま転り込ませて水に浸らせ、以後同日午後一一時三〇分ころまで同女を右状態のまま放置し、更に右時刻ころ、同女が依然として泥酔状態にあり、かつ、長時間にわたつて水に浸り、寒冷のため極度に衰弱して右浴槽内にいるのを認めながら、右浴槽から水を抜き、全身ずぶぬれの状態のままの同女を室内気温摂氏約七度の同風呂場内に引き続き放置し、もつて、同女を保護すべき責任があるのにかかわらず、同女の生存に必要な保温上の措置等を全く講ずることなく同女を遺棄し、よつて、同女をして、翌二二日午前三時ころ、右風呂場内において、寒冷に基づく心衰弱により死亡するに至らしめたものである。」

そこで、右公訴事実の成否について判断する。

原審及び当審で取調べた各証拠によれば、次の各事実が認められる。(1)被告人は、昭和六〇年一月二一日午後四時四五分ころ勤め先から原判示自宅に帰つてみると、被害者内妻甲野雪子(以下雪子と称する)が、その朝被告人が物置きに隠していた一升瓶入りの日本酒を持ち出して全部飲み尽し、泥酔状態で空の一升瓶を枕に六畳間の炬燵に下半身を入れて横臥していた。(2)被告人は、日頃雪子がアルコール依存症に罹つていて、三日とあけずに飲酒しては泥酔状態に陥ることを憂えていて、そのため引越しまでし、又娘月江を雪子の母にあずけたり、二度までも雪子を離婚しているのであるが(もつとも籍は抜いても被告人と雪子は依然として夫婦として同居生活をしていた)、その日も雪子が泥酔状態になつているのを見て(ただし同女の意識が朦朧状態であつたとする証拠はない)、いつものことながら腹立たしく思い、部屋にあつたスポンジ玉のとれている竹製の「孫の手」で、同女の臀部や両手を多数回に亘つて叩きながら、以前にも何回かそうしたように、酔いを醒まさせるために「早く風呂に入つて酔いを醒まして来い」と怒鳴つた。(3)雪子は「わかつたよ、うるさいね」と言いながら、そこから隣りの風呂場の入口まで四つん這いになつて独りで這つて行つた。その間被告人は「孫の手」で何回か雪子の臀部等を叩いた。(4)風呂場の入口のドアが閉つており、雪子は酔つていてドアが開けられない状態なので、被告人はノブを廻してドアを開けてやると、同女は這つたまま風呂場に入ろうとしたが、入口のところで手をつきそこなつてごろんと一回転した形で風呂場の流し場に転げこんだ。雪子はこの時頭部を怪我しているが、この傷は死因やその後の同女の行動を不如意にする原因とは、なつていないことは証拠上明かである。(5)雪子は自分で起きて、その着衣のまま(白木綿肌着、ブラウス、セーター、スカート、パンティを着用)浴槽(床から縁まで高さ約八〇センチメートル)の中に転がり込むようにして入り、首下約一〇センチメートル上(胸辺り)を出し、頭と右腕を浴槽の縁にかけて坐る形となり(水深約五一センチメートル)、大声を出して笑つたり、泣いて騒いだりしていた。そのときの顔色は特段の変化はなかつた。雪子は入つたとき「冷たい、寒い」と言つていたが、被告人はその前日が風呂を沸かす日でもあつたので、その時浴槽内の温度を確かめはしなかつたものの、右温度が水それも相当冷たい水程度になつているとは思つていなかつた。雪子が浴槽内に入つたのは午後五時過ぎころであつた。風呂場の外側の二枚引きの硝子戸は閉まつていて、そこから風などの入つてくる状況にはなく、風呂場内の温度もそれほど低いという状況ではなかつた。(6)被告人は、雪子が右の状態にあるのを見た後、六畳間に戻つてテレビを見たりしていたが、風邪をひいていたこともあつて午後七時三〇分ころ寝た。風呂場からはその間にも雪子が泣いたり、笑つたり、大声を出したりしているのが時々聞こえてきたが、いつもと同じことなので、酔いが醒めれば以前そうしたように、自分で風呂から上つて着替えるだろうと思い、大事になるなどのことは全く考えずに寝た。寝るときにはストーブも炬燵もつけていなかつた。(7)被告人は、うろ覚えではあるが同夜午後一一時ころ用便のため眼がさめたが、雪子がいないのでドアの開いている風呂場を覗いてみると、雪子はまだ浴槽の中にいて大きな声で泣いたり、笑つたり、昔のことをぐじやぐじや言つており、「お母さん、お姉さん」とも言つていた。それに対して被告人は熱も出ているところから「いい加減にしてくれ」と言つた。気温も下つてきているので、念のため浴槽内に手を入れてみると水(客観的には摂氏約九度位と認められる)であつたので風邪なんかをひかれたら家事に差つかえて困るので、水を落すため浴槽の栓を抜いた。そのとき雪子は傍に寄つてきた被告人からまた殴られると思つたのか、被告人を避けるようにその手をみたが何も言わなかつた。雪子の酔いは醒めたようではなかつたが、顔色は別段普通と変つていなかつた。(8)被告人は、右のように栓を抜いて水を落せば、雪子は風邪をひくこともなく、風呂に入つて相当時間も経つているので、間もなくして酔いも醒めて自分で風呂から上つてきて衣服を着替えるだろうと思い、そのまままた寝た。(9)翌二二日午前四時一五分ごろ起きた被告人は出勤の支度をしていたが、雪子がいないのでおかしいなと思い、同四時三〇分ころ風呂場を見てみたら、流し場に雪子が硝子戸の敷居の角に頭をつけ衣服を着たまま仰向けになつていて、両手両足をひろげ大の字になつて寝ているのを発見し、体にはまだ温もりが残つていたものの「雪子雪子」と揺り起したが起きないので、すぐ一一九番に電話した。(10)その電記により救急隊員から人工呼吸の方法を教えられた被告人は、雪子に対しその通りの方法で人工呼吸をしたが意識が戻らず、やがて到着した救急隊員により同女の死亡が確認された。(11)雪子の死因は、寒冷のため徐々に体温が降下したことによる心衰弱と認定された。(12)雪子は、飲酒しないときは家事もきちんと処理する健康で病気も行動の不自由さもないところの、被告人にとつて「すばらしい人」であつて、形式的には離婚していてもずつと継続的に同居をしており、飲酒の点を除けば何一つ不満のない妻であつた。

以上の各事実からするならば、(イ)本件は一月の寒冷期とはいえ被告人らの生活している家屋内の出来ごとであつて、風呂場を含む家屋の構造上外気の侵入する余地はなかつたこと。(ロ)次に雪子は泥酔状態でありかつ被告人が追い立てたにせよ(雪子の飲酒量は日本酒一升であつて、平常の飲酒量にすぎず、その程度の酩酊度であつたと思われる。)、前記(3)ないし(5)、(7)、(8)の各事実からすると、自らの意思で風呂場までゆき、自分独りで浴槽内に入つており、少くとも被告人が同女を認識している同夜午後一一時ころまでは、同女は継続的に意味のある音声を発していて意識は十分にあり、さらに同女は浴槽内で死亡したのではなく、流し場に寝た形で死亡していたのであるから、自らの行動で浴槽を出ていることが認められること。(ハ)また、雪子は飲酒をしないときは健康なかつ行動に不自由のない中年の女性であつて、被告人が臀部や手足を相当殴打していたとしても、そのことにより同女の行動が不自由になつたとの点は証拠上認められないのであるし、それと前記(ロ)の事実からすると、同女が泥酔者であつたとしても、その酔いが醒めるか、醒めないにしても浴槽内の湯又は水の温度を体感して、それが嫌になるか耐え難いものであるならば、自らの意思と行動で浴槽外に出ることは可能であつたと認められること。(ニ)なお午後五時過ぎころ浴槽内に入つた雪子が、その後少くとも被告人が浴槽の栓を抜いた午後一一時ころまでの間に、浴槽から出るのに介護を必要とする客観的状況にあつたとする特段の証拠はない。もしそうであるならば、飲酒の点を除いて雪子に不満はなく、かつ同女の酩酊の度合とその行動を知悉している被告人は何らかの方策を講じたと思われること。(ホ)雪子は本件の前にも何回か酔いを醒すために水風呂に入つた経験者であつて、ことに本件より約一〇数日前にも雪子は酔いを醒すために三時間近く水風呂に入つており、そのときも自ら風呂から出てきているのであつて、本件が初めてではなく、その雪子が午後五時過ぎころ浴槽内に入り少くとも午後一一時ころまでそのままでいたことは(浴槽外に出た時刻は不明)、いかに泥酔者であつて感覚が鈍くなつていたにせよ、浴槽内の温度が冷水に近いものであつたとするならば、午後一一時までの段階で、雪子は何らかの行動に出るか、その旨の言語を発していると推定されること。(ヘ)そうすると午後五時ころ確めはしなかつたが、前日が風呂を沸かす日であつたから、浴槽内の温度は真水ではなくぬるま湯程度であつた筈であると主張する被告人の供述は、これをむげに退けることはできない。雪子が浴槽に入つたとき「寒い、冷たい」との言を発したことのみをもつて右の反証とするには足らない。また雪子が風呂をどのように沸し又どのように継続したか不明である以上、浴槽内に入つたときの温度を摂氏約九度とする実験の結果を直に採用するわけにはいかないこと(被告人は当日早朝出勤し帰宅したのは午後四時四五分ころでありその間不在であつて風呂を沸した状況も雪子の行動もわかつていない。)(ト)以上(イ)ないし(ヘ)の認定からするならば、本件当夜午後一一時ころ雪子がなお依然として泥酔の状態にあつたとしても、極度に衰弱し切つているとの証明はなく、さらに直に介護しなければ生命身体に危険が差し迫つている客観的状況にあつたとするには疑問のあるところである。

次に、被告人の認識(故意)について検討する。(チ)被告人が当夜午後五時過ぎころ泥酔している雪子を「孫の手」で叩いて追い立て、風呂に入らせたのは、以前にも何回かそうしたように、あくまでその酔いを醒させるためであつて、それ以外の他意はないこと。被告人は雪子が風呂場の流し場に一回転して転り込んだとき、「いい気味だ」との罵声を発しているが、これは度重さなる同女の泥酔を腹立たしく思つていたからであつて、このことをもつて同女をいわゆる放置して遺棄する意思があつたとする証拠とすることはできない。なおその段階で被告人は、主観的には浴槽内の温度はぬるま湯程度であつて、冷水とは思つていなかつたこと。(リ)被告人は当夜風邪をひいていて熱もあり、午後七時三〇分ころ寝ているが、前記(5)、(6)のようにそれまでは風呂場で大声を出して笑つたり、泣いたり、喋つているのが時々聞えており、雪子は酔いが醒めれば以前そうであつたように自分独りで風呂から上つて着替えるだろうと考えていたものであつて、同女を放置する意思も認識もないことが認められること。(ヌ)次に被告人が目をさまして風呂場を覗いた当夜午後一一時ころの段階でも、雪子はまだ酔いが醒めてはいなかつたが、大声で泣いたり、笑つたり、何か喋つていたものであつて、その意識が朦朧となるとか、また意識不明になつているとか、あるいは眠りかけているとかの状態ではなかつたことが認められること。ただ気温も下つており、浴槽内は水であつたので、被告人は、同女をこのままにしていては風邪でもひかれると家事に差支えると思い、それを防ぐために浴槽内の水を落すために栓を抜いたが、被告人としては同女の右のような状態から、同女に対してはその程度の処置で十分と思つていたのであり、相当時間も経ているから、酔いが醒めれば自分独りで風呂から上つてきて衣服を着替えるだろうと軽信していたことが認められ、同女が極度に衰弱しているとの認識もなく、また直に介護しなければその生命身体に危険が生ずるであろうとの認識も全くなかつたことが認められる。(ル)以上(チ)ないし(ヌ)の認定からするならば、被告人に保護者遺棄致死罪にいうところの、保護者として雪子を風呂場に放置しかつ遺棄したとの故意責任を問うことはできないといわなければならない。

してみれば、(イ)ないし(ル)の説示から明らかなように、被告人に対する起訴にかかる公訴事実については、その証明がないことに帰する。よつて、これを容認し、被告人を右公訴事実につき有罪の認定をした原判決は、その余の点について判断を加えるまでもなく、事実の誤認があり、破棄を免れない。したがつて、被告人及び弁護人の量刑不当の所論に対する判断は省略する。

よつて起訴にかかる公訴事実(保護者遺棄致死罪の本位的訴因)につき、刑事訴訟法三九七条、三八二条により原判決を破棄し、当審において検察官から追加された重過失致死罪の予備的訴因については、その審理が尽されているので、同法四〇〇条但書を適用して、直に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六〇年一月二一日午後四時四五分ころ、横浜市○○区××三丁目二一番地の一四所在の自宅において、かねてからアルコール依存症でしばしば泥酔状態に陥ることが多かつた内妻の甲野雪子(当時三四年)が、居室内に泥酔して横臥しているのを認め、竹製の孫の手で同女を叩いて起し、「風呂に入つて酔いを醒ませ」と申し向けたところ、同女が風呂場まで這つて行き、ぬるま湯又は水を張つた浴槽に着衣ごと転がり込み、胸辺りまで没しいろいろ大声を出して騒いでいるのを見て、酔が醒めたら自分で上つてくるだろうと思つて一旦就寝し、同日午後一一時ころ、再び気にしながら風呂場を覗いたところ、まだ同女が前同様の状態で浴槽内の水に浸り、いろいろ言葉を発しているのを見て、風邪をひかせないようにと同浴槽の栓を抜き、水を浴槽から排出させはしたが、同夜は摂氏九度の寒冷下にあり、屋内とはいえ同女を水に濡れた着衣のまま浴槽内にそのままにしておけば、浴槽内か浴槽から出てきても或いは睡魔に襲われて睡眠状態に陥り、その状態が続くときは寒冷と濡れた衣服を着用していることから心臓機能が停止し、死を招くおそれがあつたから、このような場合には、同居中の内縁の夫としては、直に同女を浴槽から出し、濡れた着衣を脱がせて乾いた衣類に着替えさせ、暖をとらせて睡眠させるなどして、生存に必要な保温の措置を講ずべき注意義務があるのに、これを怠り、同女はそのうちに酔いを醒まして自分から出てきて着替えるだろうと軽信し、同女を風呂場内にそのままにした重大な過失により、翌二二日午前三時ころ、右風呂場流し場において、同女を寒冷下に基づく心衰弱により死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)<省略>

(当審の判断)

前掲各証拠によれば、当夜午後一一時ころの段階では、風呂場内は摂氏九度の寒冷下にあつたものであつて、雪子にまだ意識はあり、独りで浴槽から出てくる行動力と意志力はあつたとはいえ、すでに深夜に近く、それに同女はまだなお酔いが醒めていない状態であつたのであるから、かりに酔いが醒めたとしても浴槽内かあるいは浴槽から出たとしても流し場辺りで、そのまま睡魔におそわれて眠り込む虞れのあることは経験則上十分に推認できるところである。もしそうなれば意識をもつて起きている時とは異り、濡れた衣服を着用したまま寒冷下に睡眠状態にあるときは、体温が低下しても気が付かずそのまま心臓機能が停止する虞れがあつたというべきである。したがつて、内縁の夫であり、同一家屋内に他者はいない状況下の被告人としては、そのような状態に雪子が至らない前に、同女を直に浴槽から連れ出し、濡れた着衣を脱がせて乾いた衣類に着替えさせ、暖をとらせたうえ睡眠させるなどのことをして、その生存に必要な保温の措置を講ずべき注意義務があつたといわなければならない。しかるに被告人は、そのことに思を致さず、漫然と浴槽の栓を抜いただけで、雪子は酔いが醒めたら独りで風呂場から出てきて、濡れた衣類を着替えるであろうと軽信し、同女をそのままにして自分は就寝したところに重大な過失がある。なお雪子は、翌二二日午前四時四二分ころ救急隊員が現場に到着して、直に同女の首すじ辺りはまだ暖かつたことが認められるところからするならば、経験則上同女は浴槽外に出たものの、流し場で酔いとその眠たさから寝り込んでしまい、その睡眠の間に濡れた衣類を着用したまま寒冷下にあつたことから、徐々に同女の体温が降下し、やがて心臓機能が衰えて停止し(心衰弱)、死に至つたものと、推認することができるところである。したがつて被告人の右重過失と雪子の死亡には因果関係があるというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条後段に該当するところ所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮一年二月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入し、後記情状にかんがみ同法二五条一項一号によりこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審の訴訟費用は刑訴訟法一八一条一項但書を適用して、その全部を被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、一月の寒冷下の夜、酔いを醒させるためとはいえ、浴槽に入れた内妻雪子が着衣のまま長時間浴槽内に浸つていたうえに、当夜午後一一時ころ被告人が覗いたときは雪子はまだ酔いが醒めた状態ではなかつたのであるから、やがては睡魔におそわれて眠り込むであろうことに思を致し、それを防ぐに相応しい適当な処置を直に講ずべきであつたのに、それをせずに就寝し、同女を死に致らせた、というものであつて、被告人の過失は重く、その刑事責任は軽くはない。しかしながら、被告人は、アルコール依存症に罹患して家事、育児を放棄することが多く、被告人と離婚、再婚を繰り返すような状態にあつた雪子を見捨てることなく、なんとか同女を立ち直らせようとして病院通いをさせたり、同女の不始末に耐えて家庭を維持してきた被告人の努力は大いに多としてこれを掬むことができ、その不注意から雪子を死に至らしめたとはいえ、その動機は同女の泥酔に端を発していて、同女にも一斑の責任がないとはいえず、同女の異変に気づいた被告人が、驚いて直に救急隊に連絡し、その隊員の教えどおり同女に懸命に人工呼吸を行つてなんとかその生命を取り止めようとした努力も掬するに足るものである。また雪子の遺族も前記被告人の努力と誠意を諒として同女の死を悼みながらも被告人に対しては宥恕の気持を表示していること、雪子の残していつた娘月江(昭和五二年一二月一三日生)の養育について被告人に協力させる必要があること等その他一切の事情を勘案すると、被告人を社会内において、雪子の冥福を祈りながら自力更生の途を歩ませるのが刑政上相当と解するものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石丸俊彦 裁判官新矢悦二 裁判官高木貞一)

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